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犬焦る

犬、それは意外と不思議な存在である。

人と言葉を話せる訳ではないが、言いつけを守ったり、交通ルールの信号や道路、線路を我が物顔で走ってくるデカい箱がなんとなくヤバい奴というのも分かってるし、ここで用を足したらイカンだろうなと最低限の世の中のルールは知っている。

先日、近所の小さなスーパーに行ったときのことである。入口自動ドアのど真ん中にトイプードルがちょこんと座り、プルプル震えながら買い主を待っていた。近寄ってもじっとして動かないため、来店客はその上を跨ぎながら愛くるしい姿を横目に店へ入る有り様だった。緩いリードで繋がれていても店内に入ってはいけないことを理解していて自動ドアが開いてもレールの線から一切入ろうとしないのだ。

又、電車に乗ったときのことである。目の不自由な方が座席に座っていて、その座席下に白いラブラドールが身体を丸めて大人しく伏せて降りる駅を待っていた。電車に犬が乗っているのは新鮮な印象を受けるが、それだけ訓練を受けていて信頼できる証拠だ。外出での色々な誘惑に耐え、長年に渡り、飼い主の安全のためにしっかりサポートしている。福祉で活躍をしている優秀な犬と大した目的もなく街でブラブラしている自分を見比べると、頭が下がる思いである。

人間と犬との関係はとても古く、旧石器時代に人間が野生動物の狩猟に役立つオオカミを飼育していき、従順で攻撃性の低いものだけを選んでいった結果、長い年月を掛けてオオカミから犬へと進化したと考えられている。イスラエルで発掘された遺跡は約1万2000年前ごろのもので、人間と共に犬の骨が墓に埋葬されているのが見つかっていることから、犬は歴史上、人間が初めて相棒として家畜化した動物とされる。品種改良をされながら人間に寄り添い、荷物を運ぶ犬や狩りをする犬、家畜や作物、我々の命を守る犬、さらに心を癒すセラピー犬までも誕生し、人間が生き残り、定住し、繁栄する上で大きな役割を担ってきた。(他サイト参考)

時には吠えることも我慢し、行きたい散歩コースも変更され、飼い主がケチったドッグフードに文句も言わず、留守番中は退屈な日々に耐えてようやくオオカミの親戚から人間の家畜となり、人間の「友」という存在にまで登り詰めたのだ。

しかし、犬は焦っていた。

テレビで最近のペットは犬やネコだけでなく、ウサギやミニブタ、フェレット、フクロモモンガとかいうのも認知されてきたとあった。それどころかロボットやホログラムなどデジタル化が進み、ペット=生き物ですら無くなってきている。もはや何が何だか訳が分からない。 あのソニーの「AIBO」が発売されたときには、犬の存在が脅かされて生きた心地がしなかった。

人間はAIやデジタル化に追われて大変そうだけど、ペット事情もAIロボット化が進むなんていい迷惑で、巻き込み事故を喰らったようなものだ。犬の最大の武器である番犬の仕事も今やセコムやALSOKがあるし、この時代に吠えるなんて近所迷惑でトラブルになりかねない。

しかし最大のライバルはやはりネコである。猫は奈良時代の日本に中国から経典が輸入される際、ネズミが紙を食い荒らすのを防ぐため猫も一緒に連れてこられたと考えられており、その後、穀物をネズミの被害から守るために飼われるようになった。それがいつしか人間を癒すペットとしての座を築いている。普段は全く鳴きもしないのに飼い主がいるときだけ「ニャー」とネコ撫で声を上げて甘えるあざとい奴だ。

近年の住宅事情でペットは室内で飼われるようになってきたが、犬にとってはとてもマズい。もともと犬は番犬として外で飼われてきたのに、室内はストレスが溜まり、吠えたらうるさいと怒られるし、身体が大きいと場所とるし。しかし、どんな状況にも対応しなければ猫に居場所を取られかねない。いや~さすがに体の大きさまではすぐに進化できるものではないのに無茶苦茶ですワン。

それでも毎日縮こまり、願いながら生活した結果、豆柴、チワワ、トイプードルなどの小型犬も誕生させることができた。 ようやく猫による独占状態は回避できたが、まだ気を抜くことはできない。

そして、ついに私たち犬連合隊は、最後の切り札にたどり着き、極秘プロジェクトを着々と進めている。 それは、藤子・F・不二雄先生によるネコ型ロボット「ドラえもん」の実現計画だ。

さあどうするネコちゃん? これに勝るものはないだろう。 

「GOOD LUCK!」