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黄泉路 −①婆さんとの思い出−

黄泉(よみ)とは死後、その魂が行くとされている地下の世界。

 

−婆さんとの思い出−

 幼い頃、婆さんに連れられてよくお墓掃除に付き合わされた。僕の家のお墓は山のお寺に在って、家から大人でも自転車で30分掛かる。

夏の猛暑に小学校低学年で、ようやく自転車に乗れるようになった僕にとってはなかなか大変な行事だった。
「ハァ、ハァ、ハァ … ねえ婆ちゃん、疲れたぁ… ジュース飲みたい~」
「お寺には山の冷たい湧き水があるで、もう少しの辛抱だで・・」僕と婆さんはこんな押し問答を繰り返しながらようやくお寺の門にたどり着き、その先を見上げると坂の上にお寺があった。
「さぁ、もう一頑張りぃ・・」と婆さんは自転車を押しながら急な坂を登っていく。
「え~もう喉がカラカラで…死ぬ~」
 坂を登り切ると道の左右に6体の地蔵様が並んでいて、婆さんは地蔵様に手を合わせて挨拶し、辺りの落ち葉をキレイに片し始めた。
 僕はようやく水が飲めると湧き水の場所へ走り、置いてある年季の入ったボコボコに変形した金ひしゃくで冷たい湧き水を一気に3杯も飲んだ。
「蓮介、お地蔵様も暑かろうて、お水をお供えしてな…」と言って婆さんは本堂へ進んでいく。
「え〜…」と僕は少し項垂れながらお地蔵様の前に置いてあるコップを集め、水を汲んでお供えした。

 辺りは蝉の鳴き声が途切れることなく響き渡り、気が狂いそうなほどにうるさい。

 婆さんの後に付いて靴を脱ぎ本堂に入ると、薄暗く静かで外の騒がしさから空気が一変した。
婆さんは蝋燭に火を点け、線香を焚いてお参りを終えると、奥の方から出てきたお寺の人と話し込んだ。
話はなかなか終わらず、退屈で薄暗い奥を除くと大きな仏像や仏具が所狭しと置かれていて少し気味が悪い。
見慣れない物ばかりであちこち見渡していると、脇の壁に掛けてある何やらおどろおどろしい掛け軸に息を呑んだ。
鬼に人間が首を切られたり、釜茹でにされたり、舌を抜かれたりと、幼い僕にとってはトラウマになるほどの衝撃で、後退りしかけたときに後ろから婆さんが話しかけてきた。
「わっ! なんだ婆ちゃんかよ…」
「蓮介や、これは地獄絵図と言ってな。悪いことをすると地獄に行って鬼に舌を抜かれたり、釜茹でにされるだで。」
「悪いことってどんなこと?」
「生き物を殺したり、人の物を盗んだり、婆ちゃんの言うことを聞かなかったりだぁ…」と婆さんは少しニヤりとした。
「ええぇ…生き物殺したりって、僕はもうバッタやトンボ、カエルやヘビとか殺してしまっているで…地獄行きだで…」
「そりゃぁ罰当たりだ! 祟りもあるで。
怪我をしたり、嫌なことがあったりするのは、そのせいでもあるだ。」
「蓮介や命は周っていてな。人や動物、虫たち生き物は姿、形は違えど同じ命だ。 蓮介も今は人間に生まれているが、次に生まれてくるときは違う生き物かもしれんで。 その生き物の立場になって考えられる者にならなきゃいかん。」
「今までした悪いことを反省して、お釈迦様にもう二度と悪いことはしませんとお祈りすればきっと救ってくださるで…」と婆さんは諭した。
 その話を聞いてからは、恐ろしくて蟻一匹でもできるだけ踏まないように心掛けるようになった。

 僕の家は農家で、小学校から帰ると両親より一足先に畑仕事を終えた婆さんが居間で近所の人とお茶を飲んでいて、テレビを観ながらバカ笑い声がしているそれがいつもの日常だった。
 バカ笑いの合間に時折静かになると、事件や事故、災害、世界で起きている戦争のニュースを観てはよく嘆いていた。
▪誘拐のニュースでは「どうしてこんな残酷なことができるだ? 同じ人間か… これは鬼の仕業だで」
▪自さつのニュースでは「よほど辛いことがあって思い詰めたんだろうが、決して自ら命を絶ってはいけん。親が大事に育ててくれたのに一時の苦難に挫けてはいけんで…」
▪事故や災害のニュースでは「さぞ辛く無念だったでしょうに… 大丈夫。きっとお釈迦様が幸せな人生に生まれ変わらせて下さるで…」
▪戦争のニュースでは「横暴な連中のせいで、結局何の罪もない人や子供らの命が犠牲になっているだで…」
とこんな調子で、婆さんは学があるわけでは無かったが、色んなことを知っていて人として一番大切な物事の道理を教えてくれた。

 僕が中学校に入る頃、入学式に着ていく制服が仕立てられ、試着すると婆さんが「蓮介…カッコええ。よう似合ってる。」と婆さんがとても喜んでいて、卒業式は婆さんも行くと言い出し、母と一緒に婆さんも来ていた。
 入学式の帰りに鮨屋に行き、婆さんが奮発して特上握りを食べさせてくれ、この時にこの世で一番旨い食べ物は鮨だと思った。
 婆さんはビールを飲んで上機嫌になり、「蓮介、今日はお祝いだで。何でも欲しいもの言ってみろ…」と赤い顔で胸を反らした。
「お婆ちゃん…」と母が困った顔をした。
僕はこのチャンスは逃がせないと「婆ちゃん、ずっと欲しかったクロスバイクがあるんだ!」
「蓮っ!」と母が睨んだ。
クロスバイク?  そりゃ何だぁ?」
「スポーツ自転車だで。友達も皆持ってるんだ…」
「それが欲しいだか…よし、分かった!」と婆さんは鮨屋を出た後にそのまま自転車屋に行き、奨められたパーツも合わせて8万円のクロスバイクを少ない年金からコツコツ貯めたお金で買ってくれた。今までジュース代もケチっていた婆さんが、こんなに高いもの買うなんて信じ難かった。

 そんな元気だった婆さんも僕が中学2年生の冬に流行り病を患って旅立ってしまった。
中学生生活は勉強や部活で何かと忙しい日常を過ごしていたが、ふとした時に婆さんとの思い出が出てきて気づくと涙が出ている。

 

−つづく−